合格座談会

  • 司会
  • 松原好之(進学塾ビッグバン代表)
  • 出席者
  • 井上 裕太(大阪市立大学医学部1回生)
  • 小島 匡貴(大阪医科大学1回生)
  • 澄川 英梨子(大阪医科大学1回生)
  • 中島 史裕(関西医科大学1回生)

<敬称略 50音順>

合格座談会

松原
今年8月中旬に講談社から「年収600万、子どもの偏差値40以上なら、医学部に入れなさい」を刊行させていただきました。「わが子を効率的に勝ち組にする!」というサブタイトルでわかるように、受験生をもつ親向けに書いたものです。おかげさまで売れ行き好調です(笑)。今回は、入試で成功された皆さんに親御さんはどう関わられたのかを主題に、後輩に役立てられる話をしていただきたいと思います。
井上
僕の家は男ばかり3人兄弟で、僕はその長男でしたが、全面的に信頼してくれてました。ビッグバンに決める前に、高校の先生から北九州の予備校を熱心に勧められ、そこに行きかけていましたが、ビッグバンの説明会に来て考えが変わりました。父も母もこの高額な授業料のビッグバンに通うことに何らためらいもなく賛成してくれました。一年間どんな時も一貫して僕を信頼してくれ、サポートしてくれました。そういう意味ではとても感謝しています。
小島
うちの父は趣味人でヨットなんかを操り僕もかなり影響を受けています。母はもともと医者の家系で何としても僕を医者にしたいという情熱の持ち主です。高校まで全く勉強せず、ビッグバンに来て初めて受験勉強というものをしたほどの僕でしたが、親は、僕が初め宅浪をしたいとか、大手予備校に行きたいと言ったときだけは猛反対しましたが、後はうるさいことは何一つ言いませんでした。これはずいぶん助かりました。親の思いは痛いほどわかっているので、何も言わなくても十分伝わります。とにかく授業だけは出席したので、親も安心していたのだと思います。
澄川
私の親も淡々としていました。とにかく私の出た小林聖心女子高というところは、半分以上が推薦で、医学部を目指す子は毎年数人です。受験は塾や予備校で鍛えられるものだという認識で、親子の距離が保てていました。ビッグバンでこういうことを習った、先生がこういうことを言っていたと伝えると、それを聞いて、なるほどなあ、自分の受験生の頃はどうだった、こうだったと比較するのが楽しそうで、そういう意味では、おおらかに私の受験を見守っていてくれたんだと思います。
松原
しまった。優等生ばかり集めた人選に誤りがあった。では、中島君、期待しているからね(笑)。
中島
高校2年で前の高校を中退した時、父も母も大泣きしました。
松原
期待する話になるかな(笑)。
中島
中学一年、二年の途中まではけっこう優等生だったんです。中高一貫なので中学三年の時に中だるみになって、それから問題児になっちゃったんですね。その頃は父も母も呼び出されて僕より多く学校に行ってたんじゃないですかね(笑)。単位制の高校に移ってからは、仕方なく図書館に通ったりしていましたが、浪人してビッグバンに来てからは、僕の意識が変わったこともあって、多少のことでは親は動じなくなりましたね。親も鍛えられたというか(笑)。親は、元の学校のことは今でもあまりよく思ってないようですが、ビッグバンのことは全面的に信頼してくれてて、そういう意味では親子関係はうまくいくようになりましたね。
松原
終わりよければ全てよしで、なかなか期待通りのトンデモなく面白い話にならないのですが、ここで拙著に戻りまして(笑)、この本の中で、私は「親が授ける勉強法」を書いたんです。特に塾の選び方、講師の選び方を書きました。お読みになって、ビッグバンの授業や講師はこの本の通りだったでしょうか。

井上
年間3回繰り返すというのは確かに力がつきますね。そして定着します。この上で大学別対策講座を行うというのはベストな方法なんじゃないでしょうか。高校時代、将来陸上で食べて行こうと思うくらい陸上部に没頭していましたから、体力だけは自信がありました。ビッグバンのノルマは半端ないほどですが、ここでも高校時代培った体力が受験体力に転化し、土壇場の一番苦しい時を支えました。それでも一番苦しかったのは、センターで失敗した時です。そのとき個別の先生は、寮で放心状態の僕のところに来て夜遅くまで付き合っていただきました。本当にうれしかったです。人生の師とも言える先生に出会えたと思っています。
小島
僕はマニアックな性格のせいか、同じようにその科目を極めているようなマニアックな先生と合います。ビッグバンの化学の先生とは、今でもメールでやり取りさせてもらっています。ビッグバンでは、先生と生徒の距離が近いので、先生の影響をもろに受けます。松原先生の本に書かれている先生の選び方からは、多感な時期に親以外の人からどれほど大切な影響を受けるべきかを知ることができます。そういう意味で、とても充実したビッグバンでの受験生活だったと思います。
松原
それだけ誉めていただけると、かえって恐縮です(笑)。澄川さんはもうビッグバンの個別講師をなさっていただいてるんですね。親御さんからの評判もいいですよ。
澄川
そうですか。だと、うれしいです。中学生の女の子を受け持たせてもらっていますが、私がビッグバンの先生からもらったたっぷりの愛情を注いでやろうと思っています。ノウハウも参考書選びもビッグバンの先生から教えていただいたものでいくつもりです。
中島
松原先生の本に書かれている理想の先生像に近づけたらなと思います。
僕を導いてくださったビッグバン生物の先生は「神」です(笑)。この神のおかげで僕は生物の偏差値が80にまで達しました。普通70ぐらいまで行けばどこでも受かると言われるんですが、80にまでなるとは。
松原
具体的にどんな教え方をされるんですか。
中島
生物だと普通暗記科目と言われていて、世間で言う生物のいい先生とは、試験に出るところを的確に指導してくれる先生を指すと思うのですが、この先生は、それだけではなく、生命現象全般を深く教えてくださり、その上で、個々の問題を解く時のツボを教えてくださるので、どんな問題、未知の問題にも対処できるんです。おまけに、心が病んだ時も実に的確にアドバイスを下さいました。この人は「神」です(笑)。
松原
実はこの本も、かつて私の出会ったいい先生や、わたしの選んだビッグバンの先生をモデルに書いているので、書きやすいと言えば書きやすかったんです。では、受験期以外に苦しかった時はどう対処しましたか。親のありようも含めて語ってください。
井上
受験期はある意味わかりやすい苦しみだと思うので、親への気遣いもあって逆に親と相談することにしていました。相談してくれたら親は安心すると思ったんですね(笑)。そうでない時の何とも言えない苦しみ、僕はまだ一浪でしたからさほどではなかったと思うのですが、そういう時は、親に心配かけるといけないという思いが強くて、親にはいっさい言わなくて、寮の友達や先輩や先生に相談していました。今から思えば取るに足らないことばかりですが、相談できる人たちがいる、というだけで救われた気がします。
小島
僕は2浪目の5月でしたね。落ち着いた頃にやってくるんです。どういう悩みかというと、「お前は今そんなところで何をしてるんだ、お前はいったい何なんだ、誰なんだ?」という声が突然してくるんです。実は大学生になった今もそれはあります。今は少なくとも医学部生になっているんで、「俺はとりあえず医者になるんだ。」という答を用意することができますが、受験期はそうも行きません。これは誰に相談しても、どうせ一般的な答しか返ってこないだろうということで、誰にも相談できず、一人で悶々としていました。こういうときには、何も考えず、予習もせず、授業に出て、必ず答えの出る問題を解くに限る、ということを覚えました。ビッグバンの授業を時にはそういう形で利用させてもらいました。親は、ここではやはり出てきませんね(笑)。
澄川
私は、授業と自習室でしたね。いつもの授業、いつもの机、いつもの椅子というシチュエーションが大小さまざまな悩みの解決の糸口でした。ビッグバンの自分専用の自習ブースというのはそういう意味でありがたかったです。また、先生のほかに事務員さんには色々お世話になりました。節目節目でやっていただけるカレーパーティーなんか数日前から仕込んでいただいていると聞いて心から感謝していました。あんまり具体的に悩みを相談するということはなかったけれど、女性の事務員さんの気配りは随所に感じることができました。親と親に相当する人の存在が非常にありがたかったと思います。
中島
僕は彼女がいたんで(笑)。彼女はビッグバンで一足先に受かり、東京に行っていたんで、後の年には遠距離の寂しさも加わってとても深く悩みました。彼女は月に一回大阪に来てくれ、僕は月に一回東京に行きました。それだけを頼りに勉強しました。また、去年もけっこう行ける偏差値まで行っておりながら結局合格せず、それでどこまで行けば確実に受かるのか不安でなりませんでした。彼女の存在は親公認です。家族ぐるみもしています。よく受験生は彼女の存在が足を引っ張ると言いますが、僕は、親の公認のもと安定した彼女の存在が僕に気力をみなぎらせてくれました。
松原
なるほど。子どもを信頼して肯定的に認めてやることが、いい親子関係、いい子育ての第一歩なんですね。ビッグバンの親子関係を見ていてもそれははっきりと言えます。自分の家の親子関係を見ていてもね(笑)。カネは出しても口出しせず、って。なかなか難しいですが、親も一つの課題として肝に銘じる必要を、今改めて感じました。今日はありがとうございました。
一同
ありがとうございました。

このページのトップへ