合格座談会

  • 司会
  • 松原好之(進学塾ビッグバン代表)
  • 出席者
  • 上原 彩(聖マリアンナ医科大学1年生)
  • 杉澤 孝彰(兵庫医科大学1年生)
  • 福田 弥彦(大阪医科大学1年生)
  • 保科 涼真(金沢医科大学1年生)
  • 山本 優一(和歌山県立医科大学1年生)

<敬称略 50音順>

合格座談会

松原
久しぶりです。皆、あまり変わっていませんね。上原さん、福田君が少し痩せたかな。
上原
うれしいです。実はそうなんです。幸せ太り、なんて言いますけど、私は幸せ痩せ、です(笑)。合格して、ホント何もかもがいい方向に進んでいます。
福田
僕もビッグバンの頃はメタボでしたから(笑)、今ヨット部に入ってだいぶん健康的になりました。
松原
山本君は和歌山で活躍してるんでしょう。大阪から1時間で行けるんですよね。
山本
ええ、でも和歌山に下宿しています。チャイルドロックも解除されて楽しい日々です。
松原
何?そのチャイルドロックって。
山本
母から携帯で変なのを見ないようにと未成年用のロックを掛けられていたんですよ。浪人が終わって、それも解除されて、自由に閲覧できるようになり、確かに僕もいいことずくめですね(笑)
松原
・・・(笑)。保科君は金沢ですね。今年金沢医科大へはビッグバン生が、君を含めて4人入学しましたが、みんな元気でやっていますか。
保科
皆元気ですよ。僕も含めて朝起きて来れない奴がいたり、授業中に爆睡する奴もいますが、皆元気です(笑)。
松原
ちょっと笑えんな(笑)。杉澤君はビッグバンの良心と謳われただけあって、まじめな大学生活を続けてるんだろうね。
杉澤
そんな謳われ方をされているとは今初めて知りました(笑)。確かに、自宅通学ですし、ビッグバンのころとあまり変わっていません。ただ、合気道を始めて体育会系的なノリの中で過ごせる分だけ、大学生になったんだなあと実感しています。

松原
ビッグバンに通っていたころを皆さん、思い出して、後輩に語りかけるように語ってください。上原さんから。
上原
はい。女の子で3浪というのは、正直思ってもみませんでした。ただ、高校では、標準コースだったんで、何年かかっても君は医学部には行けない、と言われました。私はどうしても医学部に行きたかったので、悔しくて、悲しくて、母と合格させてくれそうな塾を探そうと思い、ここに来ました。英語はまあまあで、順調に伸びてくれましたが、数学がどうしても・・・。今でも苦手です。ビッグバンの先生から、それこそ手取り足取り習いました。でもなかなか伸びなかったですね。2浪目で京都薬大が受かり、埼玉医科の1次が来たんです。さあどうしようか、と迷っていた時、ビッグバンの学生の先生が、オレは4浪した。必ず順番は回ってくる。君はそれを信じろ、と言ってくださいました。それで3浪目を決意したんです。だから3浪目は、自分は今年はいける、と思ってましたから、2浪目の時ほど辛くはなかったですね。
松原
上原さんは、聖マリでも成績が一ケタなんですってね。多浪したら伸びないというジンクスを破っていますね。素晴らしいです。福田君はビッグバンとはどう関わりましたか。
福田
僕は大阪星光学院という超進学校に入ったんですが、中学受験と星光中学生になってからとのギャップにずいぶん戸惑いました。中学受験の国語は大人が大人向けに書いた文章を小学生に解かせるんですが、中学一年の国語は児童文学のような内容でガクッと来た思いと、数学と英語が最初から飛ばしまくってついて行けないという逆のギャップに遭遇して、とにかくここは居場所ではない、と思い続けました。駿台に2年、河合塾に1年通いましたが、同じ思いでした。業を煮やした父が初めて医系予備校に行け!ということでビッグバンに来ました。驚いたのは、簡単な問題を丁寧に解かせるという教育方針でした。星光の時は数年に1題しか出ないような難しい問題ばかり解かされていましたから。こんなんでいいのか、と思いましたが、実際、成績もぐんぐん伸び、父の母校に正規合格しましたから、やっぱりビッグバンは偉大なんですよね(笑)
松原
福田君、大阪星光卒なのに最初は下のクラスでしたからね。スタッフもビックリしてたんですよ。星光でも落ちこぼれるとここまで来るんか、と(笑)。山本君はいかがでしたか。
山本
いやあ、僕も現役の時は奈良教育大落ちましたから。国公立で最低状態から、最高の医学部合格まで伸びるんですから、ホント、ビッグバンのお陰で運命が変わりました。僕は3歳の時父が亡くなり、母と祖母に育てられたんですが、高校の時、僕に宛てた父の遺書が見つかったんです。父は、人のために尽くす人間になれ、と言い残してました。それをビッグバンの小論文の先生に告げたところ、お前、それを和県医大の自己推薦文に使いなさい、と言われ、先生の指導でそのことを書きました。すると入試の面接で和県医大の先生からわざわざそのことを指摘され、その時僕はなぜか緊張感がほぐれすらすらと面接官の先生と話ができました。合格したのは、父の言葉とビッグバンの先生のお陰と信じています。母のチャイルドロックも友達にはかなわんわ、あのおばはん、なんて言ってましたけど、やっぱりストイシズムを教えてくれた母のお陰でもあると、今素直に言えます。
松原
へえ、そんなこともあるんだ。お父さんもあの世で君の成功を願っておいでなんだね。お母さんもそれをしっかり受け継いで子育てをなさったんだからすごいよね。なんかこういう話に俺は弱いからな(笑)。それにビッグバンが少しでも役に立ったと思うとなおさらうれしいね。保科君はどうですか。
保科
僕はそんな感動話はないんで(笑)。うちは僕よりはるかにできる姉がいて、すんなり医学部に入れると思われたんですが、意外に苦労しまして。父はあの姉でこんだけ苦労するんだから、弟はもっともっと苦労するだろう、と思ったみたいで、松原先生に初めてお会いした時、先生、2年計画で受からせてください、と言いました。
松原
覚えてますよ。
保科
父は松原先生のファンで、あの人はタダモノじゃないと、日頃から口にしてましたから、ぶっちゃけ話をしたんでしょうね。結局2年では済まず、3年かかってしまいましたが(笑)。2浪で歯科大に受かってどうしようか、と迷った時、ビッグバンのいろいろな先生から、妥協したら一生妥協の人生になる、親が健在なうちはどんどん親に金を使わさんかい!あとから返したらええねん、と言われ、親に言うと、お前のその言葉を待っていた、と言われてアタマが下がりました。ビッグバンの先生はどんな頼みごとでも聞いてくれます。こんな問題を作って!と頼めば翌日には作ってくれるし・・・。ホント浪人して、親と他人様の愛情に触れることができました。
松原
君は寮に住んだり、自宅通学したり、いろいろ経験しましたからね。それらは全部財産になりますよ。最後に杉澤君、いかがでしたか。
杉澤
1浪目は駿台で、1日も休まず通いました。それでも落ちました。父と母はやはり僕の勉強量の少なさを指摘し、拘束時間の長いビッグバンを選びました。大手予備校での授業だけでは足りない、かといって家に帰ったら勉強するはずがない、と見抜いていたんです。ビッグバンにしたのは、医系予備校でも拘束時間が大手並みだったりするところが多いですから。自分としてはもっと自由時間が欲しかったんですが、2浪目となると父母の言うことを聞くしかありませんでした(笑)。今にして思えば、僕は駿台で1年過ごしたことが却ってよかったと思っています。大手予備校でカリスマと呼ばれる先生の授業を受けたからこそビッグバンという医系予備校での先生との出会いを自分のものにできたからです。
松原
なるほど。いろいろありがとうございました。ビッグバンは皆さんのそうした声が伝統になって受け継いでいけるものだと思っています。それで調子に乗って2011年から東京に進出します。応援よろしく。
一同
えーっ。初耳です。遂に、ですか。
松原
遂に、です(笑)。でも1年目は高校生・中学生だけ募集しようか、と。大阪のビッグバン並みにいい先生が集まったら東京でも浪人クラスを作ろうか、と思っています。
一同
がんばってください。
松原
今日は皆さんから元気をもらいました。ありがとう。
一同
お土産もいただいて、ありがとうございました。

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